始まりは赤いおもちゃのピアノでした
「ピアノ習いたい?」「うん!」
何気ない母とのやりとりから、はや数十年…これほど長くピアノや歌と関わり続けてこられたのは、音楽が好きだったから、そしてそれ以上にたくさんの素敵な出会いに恵まれたからだと思います
幼少期からピアノを習っていましたが、同じくらい体を動かすのも好きで、小中高の部活は体操、バドミントンと運動部ばかり。大学も保育や教育系に進学するつもりでした。
しかし第一志望にあっさりふられ、ピアノの師匠の勤務先だった東京純心女子短期大学音楽科ピアノ専攻に入学
世間はバブル全盛期。その喧騒とは無縁の山緑に囲まれたチャペルと聖母子像のある学び舎で、私は生きるうえで指針となる大切なものの『種』をわけて頂きました。卒業後、何十年か経て母校の教壇に立った折には、私がその時頂いたものを、音楽を通して少しでも学生達に伝えたいという心持ちでした。
短大時代の副科は声楽。友人の伴奏を弾く機会も度々あり、30年以上在籍している声楽研究会〈馨門会〉とのご縁もここからつながっています。
声楽伴奏は私の音楽活動の重要な柱です。
30代頃から、自分のピアノ演奏に行き詰まりを感じ始めました。
イメージ通りの音が出せないのです。
「心の中にこれほど想いが溢れているのに、なぜそれを表現できないのだろう?」あれこれもがくも、これといった解決策が見つからぬまま、閉塞感はピークに達します。
「もう、いっそやめてしまおうか?何を弾いても面白くないし、つまらない」
はぁ…今も思い返してもゾクリとしますが、この時やめなくて本当に良かった。心からそう思います。
40代で、ピアニストRafael Guerra氏とAlexander Techniqueに出会います。
ゲーラ氏はピアノという楽器の魅力を存分に引き出す確かな技術と、膨大な知識、天性のリズム感で色彩豊かな演奏をなさっていました。私のクラシック音楽のイメージはガラリと変わりました。
また同じ頃、アレクサンダーテクニークを学び始め、自分でも気づかぬうちに決めつけていたり、思い込んでいたことから少しずつ解放され、楽になっていきました。そこで出会った海外の第一線で活躍している先生方の豊かな経験と深い洞察力、科学的視点に基づいた鋭い指摘は常に刺激に満ちていました。
学びが進むにつれ、ゲーラ氏が惜しげもなく教えて下さった演奏技術と、それを十分に発揮するためのアレクサンダーテクニークが相乗効果をうみ、少しずつイメージに近い表現ができるようになりました。さらに音楽は私にとって大事なコミュニケーション手段なのだと実感するようになりました。
そしてアレクサンダーテクニークはピアノ演奏だけではなく、歌、楽器全般はもちろん、日常生活、子育て、介護、ありとあらゆる分野に関わると確信し、6年かけて教師資格を得ました。
多くの出会いと支えのおかげで今の私があります。その事に感謝しつつ、人に、物事に、誠実に寄り添い向き合える私でありたいと願います。
芽吹いた種の行くすえは未だ見えず、学びも道半ば。
でも、どんな些細なことでも、予想と違う結果でも、新しい発見は心躍ります。自分を知るのは面白い。
わたしが体験した、そんな喜びや楽しさを、ここまで読み進めてくださった貴方とも、分かち合えたらとても嬉しく思います。
いま、貴方の心に浮かんでいることはなんですか?
私に何かお手伝いできることはありますか?
大月 美季Miki Ohtsuki