日々の暮らし

金沢への旅〜思い出を辿る

50年ぶりの金沢

父はいわゆる転勤族で、現在実家のある東京に落ち着くまで4ヶ所住まいを移した。金沢は私が幼稚園から小2まで住んでいた土地。その風景や出来事はかなり鮮明に記憶に残っていて、機会があればいつかまた訪れたいと思っていた。

もともとフットワークが軽い方ではないし、介護もあって家をあけるのは難しい時期もあった。しかしコロナ禍を経験し「後回しにしているとそのまま叶わないこともある」と気づかされ、なんとなく条件が整ったこの秋、傘寿を迎えた母と叔母&私の3人で金沢行きを決行!

・母が20代の頃に知り合ったママ友(今はお互い80代)と会う
・昔住んでいた場所を見に行く
・加賀友禅の何かをみる
・鈴木大拙館に行く

それ以外は行き当たりばったりの旅。

 

 

長野経由 北陸新幹線で金沢へ

母、ママ友と再会する

ママ友Yさんと連絡が取れ、彼女が長年経営する金沢市内のブティックで落ち合う。

名前はよく聞かされていたがお顔は全く思い出せず、、失礼があったら申し訳ないと少々身構えていたが、お会いしてみれば気さくで朗らかな方。皆で楽しく話が弾む。
母の若い頃のヤンチャぶりが次々と暴露され、何より母の性格把握が的確で叔母も感心するほど!(さすがお仕事柄〜人を見抜く力が素晴らしい)

たった数年のママ友付き合いから始まって、何十年経った今でも気取らず自然体で話ができる二人を見ていると「ウマが合うってこういうことなんだ」とちょっぴり羨ましくもあり。

私も友人達とこんな関係性を築いていけたらいいなぁ。。

かつて住んでいた場所

当時住んでいた家は、犀川に程近いところ。
住宅と田んぼが混在していて、我が家の裏手には狭いけれど牛の放牧場があった。

その牛に道端の草を食べさせたり、田んぼでおたまじゃくしをすくったり、家の前のドブにはまったり、いかにも昭和の子〜

小学校は、竹林斜面にある階段を上り、神社の境内を通り抜けた先にあった。
木造校舎で、夏には中庭に大きな向日葵が咲いていたっけ。

そんなことを思い出しながら母、叔母と3人で近辺を歩いてみる。

小学校は、立て替えられてコンクリート校舎に。
家があったはずの場所は、田んぼも放牧場もなくなりすっかり変わってしまって、朧げにこの辺りかな?と見当がつくくらい。

何故かハマっていたドブだけは健在(≧∀≦)
(思っていた幅の半分くらいしかなかった。なんであんなにしょっちゅうハマっていたんだろう?ちなみに弟も)

 

 

自宅玄関先にて
(←この一歩先に側溝がある。)

 

冬にはスキーをしていた草ボウボウの犀川の河原も、護岸工事がなされ綺麗に整えられていた。

大好きだった通学路の竹林は、残念ながら昨年伐採されていた。
でもお花やお水をお供えしていた階段脇の不動尊や、通り抜けていた神社の境内は当時のまま。
「大きくなって帰ってきました。今まで見守ってくださりありがとうございます」
自然とそんな思いが湧いてきて手を合わせる。

また来られて本当に良かったなぁ。。

鈴木大拙館と谷口吉生氏

“鈴木大拙”
東洋の文化や考え方を世界に広く伝えた仏教哲学者。禅学者。

1年ほど前、たまたま美術展を紹介する番組を見て “鈴木大拙” に興味を持った。
その少し後、新聞に「鈴木大拙館」に関する記事が掲載されていた。
なんと金沢の本多町にあるではないか!

まだその頃は旅の企画もまっさらの状態だったが、もし行けたなら必ず足を運びたいと思い、その記事を切り抜く。

〜話は少し逸れる

この夏、高松に行った時のこと。
たまたま訪れた丸亀市猪熊弦一郎現代美術館はとても良かった。
展示内容と建築物としての美術館が。

こんなに心が晴々とする風通しの良い建築は一体誰の手によるものか?と関心を持って調べてみると、谷口吉生氏の設計だった。

しかも以前から大好きな場所だった山形県酒田市にある “土門拳記念館” の設計も谷口氏、さらには鈴木大拙館の設計も手がけていた。
ますます行きたい(いや、行かねば)という思いを強くする。

そして念願叶う。

 

 

 

 

鈴木大拙館の思索空間

ZEN

鈴木大拙氏によって海外でも広く紹介されたZEN

インスピレーションを受けた現代音楽作曲家 ジョン ケージ
交流の深い民芸運動のリーダー 柳宗悦

その与えた影響や繋がりは興味深い。

まだ何を知っているわけでもないが、
アレクサンダーテクニークに「禅」と通じる何かがあるのも感じる。

てはじめに本を一冊購入。

谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館

吉生氏の父、文化勲章受賞者でもある吉郎氏は金沢出身で名誉市民第一号。
住居跡には建築ミュージアム(設計は吉生氏)がある。
今回は立ち寄れず未練がましく帰宅してから親子の年表を眺めていたら、な、なんと、、吉生氏は東京生まれだが、戦時中金沢に疎開して金沢市立十一屋町国民学校に通われていた。

そこは、私の通っていた小学校!!
卒業生は山ほどいるし特別な接点もないけれど、この度重なる偶然を喜ばずにはいられない。ますますかってにご縁を感じてしまう私であった。

幼少期に触れたもの、感じたもの、自分を形作るもの

金沢で過ごしている間に吸収した多くは、今も確実に自分の中にあって私の価値基準になっていると思う。
物心ついて記憶として残っているのはこの時期くらいからだが、おそらくさらに遡ったものも含まれているのだろう。

日々の生活のふとしたこと、口にした物、肌で感じた季節の移ろい、その積み重ねが今の自分を形作っていると思うと感慨深い。

形があるものはいつか変わってしまうけれど、それが形のないものとして自分の中にとどまっている不思議。形のない思い も同じように自分の中に。

ご縁、大切に見守ってくれている全てのものに感謝。