日々の暮らし

ショパンとその音楽

2021年 第18回ショパン国際ピアノコンクール

今回はずいぶん盛り上がっていましたね。すでに日本では名の知られている面々がコンテスタントだった事もあり、YonTube配信やSNSなどこれまで以上に広い範囲で情報が溢れていた気がします。

先日たまたま目にしたTV番組では、過去のショパンコンクール受賞者の映像やその後の様子などをまとめた特集が組まれていました。その中に1985年4位に入賞した小山実稚恵さんのインタビューがありました。

当時、最終選考で演奏した時を振り返り「オーケストラの音の響きが、力強く、土にグッと足がついているような、、誇り高い精神が響きとして迫ってきた」また「ショパンに対する観念が“儚い美しさ”から“強さと優しさをたたえた美しさ”に変わった」とお話していらっしゃいました。

これを聞いて私も思い出すことがありました。

真のショパン像?

少し前のこと、ディーナ ヨッフェさんのマスタークラスを受講しました(Dina Yoffe〜1975年のショパンコンクールで2位、その後も幅広く活躍していらっしゃるピアニスト)

受講者の中にショパンの<アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズop.22>を弾いた方が複数いらっしゃいました。

ヨッフェさんは「ヨロヨロ弾かないで。左手はリズムをしっかり刻んで崩さない。その代わり右手は自由にたっぷり歌って」とアドバイスなさっていました。これを聞いて目から鱗がポロポロ。。

それまで、なんとなく私の中では、流れるような旋律の美しさ、ピアノの詩人、病気がち、結核、から連想される儚げなショパン像があって、骨太、力強さ、逞しさ、激しさのようなものは完全に埋もれてしまっていました。

でもその一言で腑に落ちたのです。ただ綺麗さに酔って(曲によっては根拠のないルバートを多用して)演奏しても、何かが違ってまとまらないままだった理由が。もちろん細かく言えばそれだけではないのですが、改めてショパン像を見直すことで、新しい視点から曲に取り組めると思いました。
(帰宅直後、早速弾いてみて、その時はかなり上手くなったような気がしました…が効果は持続せず)

この時私が感じたものと、小山実稚恵さんが「ファイナルの舞台で受け取った」とおっしゃるものとスケールは違いますが、どこか共通点があるように思ったのです。(ファイナルの舞台で…ふぅ…夢のような体験ですね)

音楽家としての成長

小山さんのインタビューには続きがあって「コンクールの後が本当の始まり」ということもおっしゃっていました。第6回ショパン国際ピアノコンクールに当時18歳で優勝したマウリツィオ ポリーニは、その後10年ほど本格的な演奏活動から遠ざかっていた話は有名ですが、一説では自分の力量不足を感じて武者修行をしていたとも言われています(本当の理由は分かりません)
でもそれを信じたくなるほど、コンクールを境にいろいろなものが一気に押し寄せてきて相当大変なのは我々にも容易く想像できますね。その中で自分を見失わず音楽を続けるのは、かなり苦しく困難な状況でしょう。

音楽との向き合い方は人それぞれ

コンクールには殆どの場合、年齢制限があります。
若手が世に出るための足掛かりとするのですから当然です。私も伴奏でお付き合いすることはありますが、だ〜いぶ前に縁遠い世界になりました。

コンクールもそうですが、学校で専門に音楽を勉強し卒業して、それから後のほうが人生は圧倒的に長い。そして山あり谷あり、音楽以外にも多くの経験を積むわけです。それら全てがその人の音楽に反映される。だからこそ、味わいのある豊かな演奏になるのだと思います。これにはプロアマ関係ありません。技術のあるなしに関わらず、本当にお人柄が音として(声として)表れます。そこが面白いのですよ。。ふふ。

だいぶ出遅れましたが、流行を追いかけて、推しのコンテスタントの動画など探してみようかしら。そして足元を見つめて、自分もなんぞ弾いてみようかしら。楽しみ方も人それぞれ、マイペースでいきましょう♪

追記:ヨッフェさんがある年のショパコン優勝者(日本でもかなり人気あり)の演奏について、一刀両断していました。ぽろっとこぼした本音。レベルの高いところでの話。結局は自分の好み!?