子どもたち

サルと自撮りと共感力〜対面ということ

自分に微笑みがえし?

○月✖️日〜証明写真を自撮りアプリで撮影→印刷→撃沈(そもそも自撮りが下手なのに何故挑戦したかって話ですよね。好奇心?(^-^;))

同日〜子どもたちに向けて動画作成。内容はともかく自然と笑顔になっている→O K。

同じ日、同じ人間なのに、どうしてこうも表情が違うのかと我ながら驚く。動画にいたっては、出来栄えチェック時、笑っている(微笑み返し)ことに気づき(え…?私、大丈夫?)と思いつつ、自分も対面に飢えているのかと思ったり、久しぶりにマスク無しの私の顔を見て子どもたちが同じ反応をしてくれると良いなぁ、と切に願った。

マスクでお互いの表情が見えにくいのは、やっぱり物足りない。

そして面白いもので、何かについて考えている時はセンサーが敏感になっているのか、同じような話題をキャッチしやすい。

人間の脳はなぜ大きくなったか?

2022年2月5日東京新聞夕刊より

山極寿一氏 「対面」が共感力鍛える

(以下記事要約)
人間の脳容量は集団規模の拡大とともに増加したという説がある。脳が大きくなり始めたのは今から200万年前からで、それよりあとの言葉や文明の発達以外の影響を受けていると考えられる。

人間以外のサルや類人猿にもその傾向が認められ、一緒に暮らす仲間の数が増え、仲間の性格やくせをよく知って付き合うようになり、記憶容量が増したからだろう。

ほぉぉ…初めて知った。

サルは仲間のことをよく知っている。その内容は原則として血縁関係や、強いか弱いかを基準にした優劣関係が主で、群れが円滑に過ごすためのルールに最低限必要な知識があればよい。

では、もう少し複雑な社会関係を築いている人間は、仲間のことをどうやって知るのだろう。

言葉のない時代は、直接仲間の行動を見るか、仲間同士が接する態度を見て察するなど。
7万年前に言葉が、5千年前には文字ができた。
150年ほど前に電話、約40年前インターネットが発明され、技術発展が加速し、手段は一見増えている。

しかし、仲間の気持ちを知る方法は、技術とともに進歩したのだろうか。

共感力を育む

100年ほど前、すでにアレクサンダーさんは気づいていた。文明の発達スピードに人類の進歩が追いついていないことに。その差はどんどん広がっていて弊害もあらわれ始めていることに。

言葉は人類の進化史の上では新しく、まだうまく使いこなせていない不完全なコミュニケーションである。
ゆえに時と場を共有し、対面して、相手の表情や態度から気持ちを推し量ることが、今だに最善の方法である

アレクサンダーテクニークを学ぶ過程で、自分の言葉の扱いの拙さ、雑さにずいぶん打ちのめされた。単語ですら相手と同じものを(言葉の性質上)思い浮かべられないのに、それらを組み合わせて伝えるとき、誤解が生じない方が不思議なくらい。使い方が未熟なら諸刃の剣にもなってしまう。相手が見えないSNSなど画面上だけのやりとりなら尚更だ。

やむを得ないとはいえ、コロナにより非対面優先の状況が加速しているのは疑いようがない。サルにない共感能力を十分に発揮してきたからこそ築き上げてきた人間社会。しかし今その共感力を育む場が激減している。

最後に山極氏はこう結ぶ

「とくに成長期にある子どもたちにとって、共感力を鍛える場をつくることが不可欠であると思う」

保育や音楽、になんらかの形で携わっている人達は、対面の重要性を肌で感じているはず。もどかしい思いも皆同じ。

まだしばらく制約の多い状態は続くだろう。けれど易きに流れず、安全性を確保しつつ、なんとか道を探り続ける。。子どもたちのために。