音楽

ある日の演奏覚書〜ふりかえりまで

演奏覚書

演奏形態:声楽(Sop.)伴奏
使用楽器:FAZIORI F212
演奏曲:「おまつりはどこ」中田喜直作曲/岸田衿子作詞
「竹とんぼに」木下牧子作曲/岸田衿子詩
「おんがく」木下牧子作曲/まど・みちお詩

今回の目指すところ

曲の個性を、歌手の感性と呼応しつつ、浮かびあがらせる

曲の世界観をピアニストとして積極的に提案、歌い手と共有する

曲の印象(妄想あれこれ)

「おまつりはどこ」

日本のおもちゃうた(全7曲)の第6曲
遠くから聞こえる祭り囃子。笛太鼓を思わせるイントロ。
「おまつりはどこにあるの」と歌が入ってきてからも、お囃子は低く高くずっと続く。調子にのって弾くとピアノが賑やかになりすぎて、歌をかき消してしまいそう。中間部に入ると軽快なテンポはそのままに、言葉に沿って短い間隔で目まぐるしく強弱の変化がある。ここも歌とのバランスは要注意!終盤の「ぼく」が「おじいさん」に呼びかけるところでは、私の耳に「もういいかい?まぁだだよ!」の隠れメロディが聴こえてくる。そしてお囃子の響きが遠のいて、、、なんとも幻想的。ショートムービーを見ているような気分になる曲。

「竹とんぼに」

前出の中田喜直作品「日本のおもちゃうた」第5曲に「竹とんぼ」がある。伴奏は、始めから終わりまでほぼずっと(約7ページ分)32分音符が連なる。まるで竹とんぼの軌跡のように、上がったり下がったり、くるくる回転したり。

木下氏の「竹トンボに」は中田作品「竹とんぼ」へのオマージュかしら?と思った。
イントロの16分音符が(32分音符ではなく、分量もかなり控えめだけれど)やはり竹とんぼを連想させる。詩は中田作品と同じく岸田氏なのだが、曲全体から受ける印象はずいぶん違う。ハーモニーの変化が「どうしよう」という言葉と共に切ない気持ちを呼び起こす。内面の繊細な心の動きを表現するのに、強すぎる音やキツイ音色は合わない。

「おんがく」

音は耳触りよく、詩にそこはかとなく漂う品の良さ、柔らかい言葉が心地良い。幾度か伴奏していて好きな曲なのだが、一筋縄ではいかない〜いまだ決定版に辿り着けず。
テンポ設定が<四分音符=ca.63>となっており、かなりゆったり。ほとんどの歌い手さんがそれより少し早めのテンポを希望される(基本テンポ設定の優先権は大抵の場合、歌い手>伴奏者)でも早くしすぎても、じんわり滲み出るような味わいが消えてしまうので、歌い手が苦しくならない範囲で(これ大事!笑)何か工夫しなければ。でも伴奏パートに響きを残しやすい低音が少ない。オルガンのような持続音が欲しい感じ。何か意図があるんだろうけど。うーむ。

別曲になるが、「おんがく」同様、合唱普及作品を歌曲版にしたものがある。
そこに添えられた木下氏のコメント「合唱の演奏経験がある場合、歌曲版をその延長と捉えがちですが、ぜひ新たな歌曲として一から捉え直してみてください」
「おんがく」も捉え直してみたかった、、が今回は時間足らず。

実演〜リハーサルと本番

本番前、リハーサルでFAZIORIに触れた時間約8分。演奏曲をざっと通して終わり。鍵盤が軽すぎ!?(特に重いのが好みというわけではない。調律師さん曰く、最近はSteinwayも以前より軽めらしい)打鍵途中に何もできないイメージを払拭するに至らず(もう少し準備時間があれば探れたかしら。ソロでガンガンスパーン!と弾くには向いてそうだった)
この時ピアノ大屋根は全開だったが、本番では(いつの間にか)半開にセッティングされていた。結果として弾きやすくなったが、歌い手とのバランスがリハと違うので、それに気を取られた感あり。

それぞれの曲で目当てにしていたことはある程度実行できたが、思うようにいかなかった部分について、少し考えてみた。

ふりかえり

全体として、演奏前にやや不安そうに見えた歌い手の調子は、リハより本番の方が良く(ギアを上げましたね。さすが百戦錬磨♪)聴衆からのフィードバックも二人の演奏意図がある程度伝わったことを裏付ける好ましいものだった。

共演者と作り上げる部分もあるし、個人で取り組む部分も当然あって、実演に向けてそれなりの準備をするが、どんなに抜かりなくやったつもりでも、本番が終わり振り返ってみると、足りなかったり見落としていたものに気づく。今回もそう。

曲の世界観(私の妄想を大いに含む)を表現するために、タッチを選び、アレクサンダーテクニークも活用しつつ、それに伴う体の使い方を考えた。。はずだったが、ここで見落としがあった。

自分の体は年齢相応に変化し続けているから、昔は役に立っていた(かもしれない)練習が今も同じように役に立つとは限らない。学生の頃のように集中した練習時間は確保できないし、そもそも長時間やりすぎると疲労が泥のように蓄積し、そこから回復するのが遅い〜(涙)だから目的のない無味乾燥な練習は役に立たない、と最近は特に思う。

しかし、明確な意図を持った部分練習は必要!
これが今回の気づき。

気づきの検証

機械的な練習(ただ回数を繰り返すような練習)はこれまでも避ける傾向にあったけど、明確な意図を持った部分練習はそれとは一味も二味も違う。
必要な動きの確認を繊細に丁寧にする。一般人がパッとみて違いが全くわからないレベル。こういうところはアスリートが体の使い方を微に入り細に入り探究するのに似ているんじゃないかと思う。ある意味筋トレかもしれないが、5キロのダンベルを2本指でつまむようなことはしないので大丈夫。

本番で気になった箇所を見直し、自分の気づきがそこに生かせるかどうか試してみた。

部分練習に協力してもらった作品は SCHUBERT IMPROMPTUS op.142-1
これまで部分練習といえば、当たり前のようにエチュード(山のようにある)を活用していたが、あえて別曲で試すこのやり方、バッチリはまりました。今後も可能な限り採用!

ふむふむ。。確認、整理できた。腑に落ちた。そして探究は続く。。