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介護とアレクサンダーテクニーク〜その2

介護とアレクサンダーテクニーク〜その1https://mikiohtsuki.com/kaigo2/ 2022年 明けました! 2022年 はやくも半月が過ぎました。うむ...

介護に役立つアレクサンダーテクニーク

自分の体の構造について、皆さんはどれくらいご存知ですか?

私はATを学び始めて、自分自身をいかに知らないかに気付かされました。体の構造にしてもそうです。まぁ日常生活では知らなくてもさほど困りません。なので普段は無意識に体を使っています。習慣化している動きならなおさらです。でも意識的になることで、より楽に、機能的に自分の体を使うこともできます。

例えば、足の小指。何気なく歩いていた時には気にもとめなかったのに、怪我をした途端にその存在の大きさを意識しませんか?「歩くとき、こんなに小指が活躍していたのか!」と。長い年月をかけてデザインされた人間の体は本当によくできていると思います。使い方次第でまだまだ可能性は広がるはず♪

解剖学的知識と全体性

父の発症でいきなり直面したこの状況。
介助のノウハウなど、全く知らない私でしたが、
(1)アレクサンダーテクニークを学ぶ中で得た解剖学的知識
(2)アレクサンダーテクニークの重要な要素、全体性
これらの合わせ技が、とても役に立ちました。

もう少し具体的に解説すると
(1)体のパーツは単独では動きません。必ずどこかに繋がっています。そして連動しています。部分であって、体全体でもあります。(それを踏まえつつ)部分を知ることで、体全体の観察がしやすくなりました。

(2)自分だけでなく相手も含むと、自分の体をより機能的に使いやすくなり(=介護される側も楽)介助時の負担が減ります。ベッドからの起き上がり、立ち上がり時など、自分より体格の大きい人の介助は大変ですが、なぜか軽く感じます。試す価値あり!

情報を選び取る、使いこなす

とにかく介助に関してはド素人、なんの知識もありません。”車椅子から立ち上がらせる時”も、手を貸すどころか、まず自分の足をどこに置いていいかすらわかりません。
被介護者の安全に関わることなので、プロにお任せできればそれが一番かもしれませんが、いざ自宅で介護となった時、そんなことを言っていられないのが実情。

自分でやるしかない。そこでヒントを探すためパソコンに向かい検索すると…まぁビックリ!介助方法を実演した動画がたくさんあるではないですか!
私が戸惑った“車椅子からの移乗“や、日常身の回りのケアなど、大抵のことは答えが見つかります。すごいですねぇ。。それだけ悩んでいる人も多いということでしょう。
ただし発信者の意図を正確に汲み取らなければ、危険です。

例えば同じ動画を10人が見て、その後「動画と同じ動きをして下さい」と指示されたとします。10人中何人が正確に再現できるでしょうか?
それぞれ見るポイントが違ったり、自分のイメージと実際の動きが一致していなかったり、要因はさまざまですが、おそらく正解者は2、3人、、?

同じものを見たり聞いたりしても、十人いれば十通りの見方、解釈があります。それ自体は尊重する価値のあることですが、命、安全に関わるのであれば、慎重にならなければいけません(自分にも言い聞かせています)

せっかくの情報を有益に使いこなすため助けになったのが前出の(1)(2)
動画を見る際、どこに着目するか?動きの見極め、実践など、アレクサンダーテクニークを学んでいたからこそ、可能だった部分が少なからずあります。

周囲に協力してもらい練習するのも大事ですね。いきなり実践はちょっと怖い。また逆の立場になってみるのも良いですよ(こうされたら不快だ、がわかります笑)
とにかく安全第一です♪やはり素人には変わりないので。

他者との関わり。一つの形

身体的な介助の情報などは、手に入れる手段も機会も以前に比べ格段に増えています。しかし心に関してはどうでしょう。

私の場合。
そこにしか存在しない特別なルール(いつの間にかあるような気がしている)に縛られた不自由な私、振り回されている私、やりたいことを我慢している可哀想な私、、心のどこかでそう思い始めると、実際に起きている以上に物事を重く受け止めてしまい、疲労感がじわじわ増します。決して軽い簡単な話ではありませんが、事実とは異なることで(ここが重要)自分を追い詰めることはなるべく避けたい。その必要はないですからね。

こんな自問自答を繰り返す中で、介護を特別視し過ぎていたかなと思うようになりました。人と人の関わり、その一つの形なのでは、と。

あなた自身と他者との関係性です。なにか見えてくるものはありますか?

関わりの形は親子、夫婦、友人、、お互いに影響しあい、支え合っています。

対象者には親、子ども、友人など。人間以外のペットでもあてはまりそうですね。
自分の許容範囲(自分で決める)を越えた時には、迷わず第三者のサポートをもらう選択肢もありますね。身体的、経済的負担(自分から一方通行でサポート)ばかりに目がいっていたけれど、実は精神的に自分の方がサポートされていたと気づくこともあります。今だけではなく、時間を遡ってみると、たくさんの想い(サポート)を受けていた事を思い出すかもしれません。

介護とアレクサンダーテクニーク〜その1、の冒頭でも申し上げましたが、あくまで私の体験談、私見です。そしてまだ続きます。そのうち立場も入れ替わるでしょう。音楽とアレクサンダーテクニークと良き理解者に助けられています。感謝。

さてさて、2022年はどんな年になるでしょう?
全く予想がつきませんね。
でも、みなさん、まずは深く呼吸いたしましょう。
手を太ももの上に置いて…

本年もよろしくお願いいたします:*・'(*゚▽゚*)/:*

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