歌・ピアノ・鍵盤ハーモニカで綴る音楽Vol.2
Yさんとのリサイタルでは、これまで自作の小品や編曲を演奏してきました。
たまたま試みが続いただけで、しかも私にとっては毎回かなりのチャレンジなのですが、こういう機会でもないと逃げ腰になる自分に喝!を入れようと、今回もプログラムに組み込もうと考えはじめました。
他の曲目や全体のバランスを見つつ、少し前に茨木のりこさんの詩「待つ」に曲をつけたものを、もう一度練り直してみることにしました。
茨木のり子(詩人 1926−2006)
彼女の詩はたくさんの作曲家が取り上げ歌曲にしています。私が最初に彼女の詩を知ったのもその中のひとつでした。
三善晃氏作曲「一人は賑やか」という歌曲で、音と言葉が相まって目の前に情景がさぁっと立ち上がり広がっていく感じが大好きな一曲。
「待つ」は鉄の扉を閉ざし外界との接触を遮断している『わたし』と、それでもだれかと繋がることを切望している『わたし』の矛盾がなんともいじらしい詩。
そんな『わたし』に淡い希望と出逢いの予感を示したいという気持ちの赴くままに音をつけました。
ただ自己満足の世界なので、初めて聴く方に唐突な印象を与えないよう親切な提示方法はないかしら?と考えあぐねていたある日、拙作とMompouのピアノ作品が私の中でストーリー仕立てで一つにつながりました。
Mompou(作曲家 1893−1987)
*Prelude no.10(前奏曲):mompou (モンポウ)
村に鳴り響く祝祭の鐘の音
教会のそばの木かげでは若者が想いを寄せている娘に一生懸命話しかけている
娘ははにかみながら若者に答え、何かが始まりそうな、、?
鐘の音は高く低く鳴りつづける
*「待つ」詩:茨木のり子 曲:大月美季
わたしの心は かたくなな 鉄の扉
でも『わたし』は絶望しているわけではない
期待と確かな予感とともに待っている、そう、誰か を。
鍵を持って まだ どこか 遠くを
のんびりとふらついているのは誰?
*El lago(湖):mompou
対岸のまったく見えぬ湖、人の背丈をゆうにこえる花芒が湖岸を覆っている
以前おとずれた時にはまだ固い黄褐色の尾花だった…
季節は確実に移ろう
湖面はさざめき、空は吸い込まれそうなほどに青い
花芒に見え隠れするのは人影?それとも気のせい?
『わたし』はいつか出会えるだろうか、誰か に、、?
という妄想がふくらみ、自作の前後にモンポウ作品を置き、3曲で一つの作品
「花芒〜茨木のり子とMompouによせて」となりました。
詩、曲との出会い
その日その時、自分の置かれている状況や心理状態によって出会いもその後も変わるのでしょうね。
例えばモンポウ作品。
これまでも知らないわけではなかったけど(コンサートで取り上げていらっしゃる方はチラホラ)なんとなくそのまま通り過ぎていたのに、今回は私の妄想(世界観)にピッタリ合いすぎて興奮するレベル(笑)!!ホント不思議です。
茨木のり子さんの詩は昔から変わらずっと気になっているもの。
「自分の感受性くらい」「倚りかからず」
この辺りは有名作品なのでご存知の方も多いかもしれませんね。
「マザー・テレサの瞳」
中途半端さをガツンとやられる感じ
「笑う能力」
これけっこう面白いです。クスッとしちゃう。きっと今だから。
音楽を通じて、たくさん豊かなものに出会える
なんと贅沢で幸せなこと♪