子どもたち

続 モンテッソーリ教育を学ぶ

モンテッソーリ教育流行り?

私もスタート地点に立ったばかりですが、モンテッソーリ教育ってなんだろう?と思われた方のために、モンテッソーリ教育のあらましについて大月目線でつらつら書いてみたいと思います。

1970年日本万国博覧会(大阪万博)

「懐かしい〜行ったよ」「月の石が大行列でねぇ」という人から「太陽の塔?なんとなく聞いたことあります」世代まで。ちなみにワタシ前者です。といっても記憶はほとんどなく、買ってもらったお人形さんのことを覚えているくらい。

77カ国参加、入場者数6400万人超えと大いに盛り上がった大阪万博のテーマは
『人類の進歩と調和』
各国のパビリオンは今見てもユニークで見応えありそう。パビリオンごとのテーマもあり、イタリア館は『開発世界における進歩と伝統』え、なぜイタリアかって?
実はこのパビリオン内の近代現代ホールにモンテッソーリ教育の展示があったのです。従来の教育とは一線を画す先駆的教育法として紹介されていたようです。

そして2023年

子育てや幼児教育に関心がある方達の間でちょっとしたモンテッソーリブームが起きている。そう聞いてネットで検索してみると、確かに数年前より記事がすごく増えてる!いつの間に!?まぁ認知度が高く社会的にも認められている方々が、幼少期にモンテッソーリ教育を受けていたと聞くと興味が湧きますよね、そんなことも呼び水になっているようです。

いつの時代でも子育てに関する流行は何かしらあるもの。30年ほど前は乳幼児期以前の胎児教育が流行っていて、おなかの子にモーツァルトなどを聴かせると良いと胎教CDがもてはやされていました。(どちらが先かわかりませんが、ワインや牛豚さんに聴かせると味が良くなる説もありましたね)そのほか〇〇法、△△グッズ等々ありましたが、いま存続しているものもあれば、消滅しているものも。たとえ側から見たら微妙(!)でも、子どものために一生懸命何かをしてあげたいと思う親心は同じです。ホロリ。

親からの働きかけ(胎教)の効果はさておき、実際子どもは母親の胎内でいろいろな能力を獲得しようと自ら学習しています。

自己教育力

胎児は母親のおなかの外に出た瞬間から生きていく上で欠かせない〜肺呼吸、お母さんのおっぱいに吸いつく、母乳を飲み込む〜の前段階運動を胎内で練習しています。
ほぼ真っ暗な子宮の中で水(羊水)に浸かりながら一人で頑張ってるんですね。生まれた直後は母乳を飲むのが下手だったりしますが、すぐ慣れます(自主練習の成果!)誰に教わったわけでもないのに…生命の神秘。

モンテッソーリ教育では“子どもは自分を伸ばす力=自己教育力を持っている”
と考えます(胎内での様子から推察すると素人目にも納得です)
ですから教師は教えるのではなく、援助する人という位置付けになります。

アレクサンダーテクニークでも同様です。あくまでも本人がやるのであって、教師(他に呼び方がないので使いますが、生徒&教師という概念も本来はありません)はサポートするのみ。

教師、大人の役割“環境を整えてあげること”
子どもは自分に必要なものをわかっているので、それに相応しいものを教師(大人)が整えます。

子どもの観察

子どもが今何を必要としているか?
子ども自身はわかっていても、我々大人がそれを準備し環境を整えてあげるには、子どもを観察して予測し先回りする必要があります。

その手がかりになるのが“敏感期”です

運動、感覚、秩序、数、言語、文化

このような分類で、それぞれ前期と後期があります。
た、だ、し、月齢や年齢でくっきり分けられるものではないので、そこはあえて書きません。一見わかりにくいこともありますし、当然個人差もあります。子どもが情熱を傾け嬉々として(表情には出ていないかもしれません)取り組む様子が見られれば、それが敏感期である証拠です。

息子が8ヶ月〜1歳ごろ、流し台下の収納スペースの開き戸を開けて、どっかりその前に座り込み、中にあるフライパンや鍋をゴンゴンガラガラ延々と引っ張り出していました(出すだけ、しまうのは私)かなり重いものもあるので怪我をしないか心配でしたが、片づけたハジからまた引っ張りだしてあまりにも熱心に続けるので根負けし、危ないものだけよけていつでも心おきなく引っ張り出せるようにしました。誰にも止められないあの情熱!!
これは“運動”の敏感期前期の行動です。

子は大人になり、そして学びは生涯続く

ユネスコが世界の私立学校を調査したところ、世界で最も広く多く実践されている教育がモンテッソーリ教育でした。日本では幼児教育のイメージが強いのですが、海外では小中高、大学もあるそうです。私は3−6歳コースをおさめただけなのでまだ全容は見えていませんが、その年代だけ切り取ってどうこうするようなものでないことは確かです。

アレクサンダーテクニークにしても、出会ってから今日まで少しずつ自分の中で培ってきて、それはこの先も続きます。

モンテッソーリ教育も、アレクサンダーテクニークも、初代Maria montessori氏(1870−1952)とF .M.Alexander氏(1869−1955)から代が遠ざかるほど解釈は多種多様になっていき、中にはかけ離れたものもでてくるでしょう。その中で自分の学ぶ環境を選ぶ時、なるべく見晴らしがよく風通しの良いところで学びたい。「オラが一番!」と声高に唱えるような場は苦手です。信念を持ち取り組みつつも他者を評価し良いと思うところは認める、が理想です。団体としては難しくとも個人としてはそんな立ち位置が好ましい。
ありがたいことにモンテッソーリ、アレクサンダーテクニーク、両者の学び場は私がそのような立ち位置で学ぶことを許容してくださいました。

「学び」は変化し続けること

モンテッソーリ教師養成コースの主催者M先生いわく「学び=変化」
アレクサンダーテクニークの大先輩方(先生)の生き様を私のこの目で見て実感し尊敬している点も、常に変化し続けていらっしゃる姿。
この共通点が私にとっては大切なのかもしれません。
物事や人との距離感も両者はとても似かよっていると感じるのです。
また一つ探究するものが増えました。しばらくはゆるゆるとこの波に乗ってみます。

あらましといいつつ、だいぶ話が逸れてます?では次回は実践して役立ったことをご紹介しますね。続く〜♪( ´θ`)ノ