予備知識ゼロから、いきなり飛び込んだモンテッソーリの世界。独特の言い回しや語句に戸惑いながらも、人として大切なものは共通で、その手段としてモンテッソーリ教育があるという捉え方のもと理論や実技に臨みました。学び始めてすぐに、いくつかの要素に着目し表現療育のセッションに取り入れたところ、確かな手応えがありました。
モンテッソーリの教具
教具≒教材道具
![](https://mikiohtsuki.com/wp-content/uploads/2023/01/sebastian-pandelache-oK7n88SzyTg-unsplash-300x200.jpg)
教具は教具棚と呼ばれる棚に分類、整理され子ども達が取り出しやすいように置かれています。子どもは自らの意思で選び、それを使った活動をします。教具の種類がどのくらいあるのか、よくわかりません。定番の物と園オリジナルの工夫された手作り物、かなり大掛かりなものから小物まで、多種多様膨大にあると推察されます。海外と日本の違いもあるようです。
私の知る限りでは定番教具の製作会社は複数あり、そのうち数社はいわゆる本家本元。材質や塗料など安全性にも配慮されていて品質、手触りともに良い。その分お値段はかなり高額です。それ以外に安価で製作販売されているものはありますが、推してしるべし。
教師として教具の扱い方をマスターするのは大変ですが、長い時間かけて練り上げられた本来の教具は、やはりよく出来ています。私が感心したのは
その教具を通して子どもが体験できる事柄を一つに絞り込む
という点です。教具の使用目的が明確で基本から応用に発展させることも可能。教師の観察眼と腕の見せ所になります。そして教具同士は縦のつながり、横の広がりがあって各々関連づけられています。
モンテッソーリの提示
提示≒子どもにお手本を見せる
全ての教具について、必要に応じて教師が提示を行います。
*「アイロンをかける」「洗濯」など生活分野
*「色ビーズと数字カード」「両替あそび」など数の分野
*「絵カード合わせ」「形容詞のゲーム」など言語の分野 etc.
ご紹介したのはほんの一部です。
これらの提示で使用される道具は、教具はもちろん椅子や机(日常使い兼用)にいたるまで子どもが扱いやすいサイズなので、大人にとってはこんな状況が生まれます。
<イス>座面が小さくて低い→お尻痛い!
<机>低いので屈んで作業→腰痛い!
しかも子どもから見えやすいように動く必要があるので、腕や足が長い大人にとっては苦しい角度になる場合もあります。それもすべて以下を実現するため。
子どもから見えやすく、真似しやすい提示
ところで真似しやすいとは具体的にどういうことでしょう?
表現療育の現場で
表現療育の場でも毎回試行錯誤しています。その日の子ども達のコンディションに左右されるのは想定済み、でも「最低限ここまでは伝えたい!」を実現するにはどうしたら、、、?
そのヒントがモンテッソーリの教具と提示にありました。
*子どもが体験できる事柄を一つに絞り込む
*手本を示す時は位置取り、見せ方に配慮し子どもからより見えやすくする
*単純な動作
*スモールステップ
「真似しやすい」とは「わかりやすい」という事でもあります。さらに付け加えれば
*視覚、聴覚の適切な個別化
*動きの明確化、細分化
*段階練習の導入
などなど。これらの要素に着目し手元の指導案を見直してみると、自分ではかなり噛み砕いているつもりでも目的が不明確だったり、欲張りすぎていたりして、結局子ども達に伝わりづらくなっていたと気づきました。
さらに子ども達の特性に合わせて配慮が必要な部分もよりいっそう見えてきました。
“すこっぷ調布”での私の役割は表現療育の講師です。
通い始めた5年前はマニュアルもなく、文字通り手探り。スタッフの方々に助けられながらなんとかこなしていました。やる気満々でしたが目標の達成度を求めすぎてその場の様子をしっかりと把握できていないことが度々あり、その反省を踏まえてプログラムの軸となる二本の柱をずっと意識し続けてきました。
一本は子ども達に具体的に伝える何か(音楽のこと、体の使い方など)
もう一本はアレクサンダーテクニークを使い続けながら子ども達と過ごす私自身のありよう
一本目は主にセッションに盛り込む内容ですが、その日その時の状況で臨機応変に対応することが求められます。外的要因の影響をもろに受けるので大きなねらいはブレないよう気をつけつつ、流れに身を任せて柔らか〜に対応(していこうと努めてます)
もう一本の柱は、私自身のことなので、ある程度予想しやすく不測の事態に陥っても自分を律すれば良いと言う意味では、コントロールしやすい。
さらにメリットとして、結果を出そうと早る自分の気持ちを抑制できます。
また、歌う・話す・楽器を演奏する・動く・スタッフの方達との意思疎通 などセッションに必要な全てがやりやすくなリます。
セッションの間、私の有り様は言葉ではなく体全体、私全体で表現されています。
考えてみれば(モンテッソーリ教具こそ使っていませんが)これもある種の提示ですよね。
好ましいものとして子ども達の五感に直接働きかけられたら、それほど嬉しいことはないのですけれど。
<これまで取り組んできた事>と<新しい学び>
思いもよらないところで、点と点が結ばれて線になり繋がっていく瞬間が面白い!
来年度のすこっぷも楽しみです♪